2026年10月23日更新 | 社会問題・労働災害 | 執筆:かめきち

「厩務員はゴミ以下」──。川崎競馬場の厩舎で働いていた43歳の男性が自死した件で、川崎南労働基準監督署が「パワハラと過重労働が原因」として労災認定した。10月22日、遺族が霞が関で会見し、地方競馬の現場に響いた。何が起きていたのか。

何が起きたのか 時系列で整理
まず全体像を押さえたい。川崎競馬場(川崎市)の厩舎で競走馬の世話をしていた厩務員の男性(当時43歳)が、2024年2月に自死した。川崎南労働基準監督署は2026年6月25日付でこれを労災と認定。10月22日、遺族と代理人弁護士が東京・霞が関の厚生労働省で記者会見し、認定の経緯と厩務員の労働環境の改善を訴えた。
自死が労災と認定される事例は珍しくないが、地方競馬の厩務員の自死が「パワハラ+過重労働」で労災認定されたという点で、競馬業界の労働問題として全国に衝撃が走った案件だ。主要メディア(時事通信、共同通信、毎日新聞、朝日新聞、NHKなど)が一斉に報じている。
2015年8月
男性は川崎競馬場の調教師厩舎で厩務員として勤務開始。競走馬の飼育や世話を担当。
2024年1月21日
同僚の厩務員の前で、上司にあたる調教師から大声で叱責され、「死ね」と言われた(遺族側の主張)。
2024年1月18日〜2月3日
17日間連続で勤務。この間、時間外労働は月42時間46分から66時間1分へ急増。
2024年2月
調教師から「厩務員はゴミ以下」「犬猫以下」などと長時間怒鳴られた当日に自死(遺族側の主張)。労基署はこの時期にうつ病を発症したと認定。
2026年6月25日
川崎南労働基準監督署が労災認定。
2026年10月22日
遺族と弁護士が厚生労働省で会見。「息子の死を無駄にしたくない」と訴える。遺族は調教師を提訴する方針。
労基署が認定した核心 パワハラ「強」
今回の労災認定で最も重く見られたのは、パワハラによる心理的負荷だ。労基署の調査復命書では、心理的負荷の評価として最も重い「強」と判定された。復命書には、叱責した人物の記述の一部が黒塗りで隠されているものの、「Aさんに向かって人格や人間性を否定するような発言をしていたことが推認された」と記されている。
遺族側代理人の笠置裕亮弁護士は「1月21日の出来事に関して、かなり事実認定をされていると推測される」と述べた。また、亡くなった男性のスマートフォンには、調教師との業務上のLINEのやり取りが残っており、「〜しろ」と命令口調で指示していたことも判明している。
仮にここまでの発言が事実なら、職場で人格を否定され続け、逃げ場のない日々を過ごしていたことになる。労災認定という「行政の結論」は、現場で何が起きていたかを重く物語っている。
17日間連続勤務 残業は月66時間へ急増
もう一つの認定事実が過重労働だ。男性は亡くなる前の2024年1月18日から2月3日まで、17日間連続で勤務していた。さらに時間外労働は、亡くなる2カ月前には約42時間(42時間46分)、1カ月前には66時間1分に急増していた。
労基署はこの連続勤務と残業の急増について心理的負荷を「中」と評価したうえで、パワハラの負荷「強」と総合して、うつ病の発症および自死との因果関係を認めた。残業66時間は過労死ライン(月80時間)までは届かないが、17日間の休みなしが重なれば、身体の回復はまず不可能だ。競馬に付き添う時間も労働時間と判断されており、実働はさらに長かった可能性がある。
PR
【事業主の方に】労働時間管理は今や義務です
- Amazonで探す → タイムレコーダー(打刻機)
- タイムレコーダー(楽天)
「労働時間が把握されていない」 異常な実態
調査で浮き彫りになったのが、労務管理の壊滅的な実態だ。復命書には「本事業場においては労働時間が把握されていない」と記されている。労働時間の記録がなかったため、労基署は男性のスマートフォンに一部残っていたGoogleマップのタイムラインを手がかりに勤務実態を調査。そのうえで、始業時刻を原則午前1時30分と認定した。
午前1時30分始業──競馬の厩舎は、競走馬の飼付け(エサやり)や調教のために夜明け前に動き出す。だから「早朝から働く」こと自体はこの業界の常態だ。しかし常態と、記録ゼロの労働時間管理は別の話である。この一点で、パワハラと過重労働が重なって「強」評価になった構図が見えてくる。
労基法41条 厩務員が規制対象外という構造
さらに根本的な問題がある。厩務員は労働基準法41条により、労働時間・休憩・休日に関する規定が適用されない「畜産業従事者」として扱われているのだ。
つまり法律上、厩務員は「働きすぎを防ぐルール」の外に置かれている。この扱いは2026年3月の参議院農林水産委員会でも取り上げられ、厚生労働省は「厩舎で主に競走馬の飼育や調教がおこなわれている場合は畜産の事業に該当するものとして取り扱っている」と答弁している。
笠置弁護士は「レースにも付き添い、労働時間の裁量は特にない働き方。1次産業の従事者と同一視していいのか」と疑問を呈し、41条の対象であっても客観的な方法で労働時間を把握する義務はあると指摘した。
雇用の構造も複雑だ。厩務員の募集やレース日程の決定には主催者の神奈川県川崎競馬組合が関わるが、労働契約を結ぶ相手は個人事業主である調教師。遺族側は「調教師個人に任せていいのか」と、この仕組み自体を問題視している。
遺族の訴え 「厩務員の存在が軽すぎる」
会見で最も重かったのは、母親(74歳)の言葉だった。
「休みもなくて、大変疲れておりました。亡くなる2年前くらいから目に見えて髪の毛が抜けていき、最後に会ったときはスキンヘッドになっておりました」「疲れて帰れない」と繰り返すようになり、最後に帰省した際には、驚くほど長い時間眠っていた──「どんなに辛く、悔しかったかと思うと、家族としてやりきれなく、許せない気持ちです」亡くなった男性の母親(10月22日会見より)
母親は「厩務員の存在があまりにも軽いのではないか」と疑問を口にし、「息子の死を無駄にしたくない」と語った。遺族側は今後、調教師、神奈川県川崎競馬組合、地方競馬全国協会、農林水産省に対して職場環境の改善を要望し、調教師については提訴する方針だ。
調教師側と競馬組合の反応
一方で、調教師の代理人弁護士は取材に対し「ハラスメントに当たるようなことはしていないという認識です」と回答。労災認定の資料はまだ精査できていないとして具体的なコメントを控え、「心からお悔やみ申し上げている」と述べた。
神奈川県川崎競馬組合は、遺族側から現時点で情報や要望を受けていないとして見解を控えつつ、調教師への処分や労働環境の改善については「事実であれば、適正に対処していきたい」と回答している。事実認定をめぐっては今後、訴訟の場で争われることになる。両者の主張は対立しており、最終的な法的評価は裁判所が下すことになる点は押さえておきたい。
パワハラから自分を守るために
これは「競馬の話」ではない。人格否定の叱責と休みなし勤務が重なる職場は、業界を問わずどこにでも存在する。読者自身を守るために、最低限押さえておきたいポイントを整理する。
① 記録を残す
発言の日時・場所・内容、指示のやり取りは、LINEやメール、日報、スマホの位置情報など客観的な形で残す。今回、労基署がGoogleマップのタイムラインまで調査材料にしたことからも、デジタル記録の価値は明らかだ。明日からでいい、今日から記録しよう。
② 相談窓口を知る
一人で抱え込む前に、厚生労働省の総合労働相談センター、自治体の労働相談窓口、労働組合などに相談できる。パワハラ防止措置は2022年4月から中小企業を含めて義務化されており、会社に相談体制の整備を求める権利がある。
③ 労災申請ができる
仕事による精神疾患や自死は労災の対象になり得る。請求には時効があるため、早めに弁護士や労働保険事務組合など専門家への相談を。行政の認定が「誰
PR
【知識で守る】ハラスメント・労災をめぐる本
- Amazonで探す →
パワハラ対策の本(Amazon)
パワハラ対策の本(楽天) - Amazonで探す →
労災認定の本(Amazon)
労災認定の本(楽天)
よくある質問
| Q | なぜ労災認定された? |
|---|---|
| A | 労基署がパワハラの心理的負荷を最重度「強」と評価し、17日間連続勤務や時間外労働の急増(月42時間46分→66時間1分)も踏まえて、うつ病の発症と自死の因果関係を認めたため(2026年6月25日付認定)。 |
| Q | 調教師は処分される? |
| A | 調教師側は「ハラスメントに当たるようなことはしていない」との認識を示し、事実認定は今後の訴訟で争われる見通し。競馬組合は「事実であれば適正に対処」としている。 |
| Q | 遺族は今後どうする? |
| A | 調教師を提訴する方針。組合・地方競馬全国協会・農林水産省への職場環境改善の要望も進める。 |
| Q | なぜ厩務員は労働時間の規制対象外? |
| A | 労基法41条で「畜産業従事者」として扱われ、労働時間・休憩・休日の規定が適用されないため。法改正を求める議論が始まっている。 |
心の悩みを一人で抱えないで
この記事を読んで、つらい気持ちになった方へ。誰かに話を聞いてもらう窓口があります。
いのちの電話 0570-783-556(つながる)
よりそいホットライン 0120-279-338(24時間・無料)
みんなのメンタルヘルスサイト(厚生労働省)
PR
【心の栄養も】休むこと・回復することの本
- Amazonで探す →
メンタルヘルスの本(Amazon)
メンタルヘルスの本(楽天)
まとめ 「常態」に潜むものを見る
「ゴミ以下」という人格否定の叱責。17日間の連続勤務。午前1時30分の始業。そして労働時間の記録ゼロ──。今回の労災認定が突きつけたのは、「昔からこうだから」が功罪を隠してしまうという、どの業界にも通じる警鐘だ。
競走馬を支える厩務員の仕事は、馬にとってかけがえのない仕事であり、競馬という文化を下支えしている。だからこそ「厩務員の存在が軽い」という遺族の一言は、喪失の痛みの裏にある構造を一点で射抜いている。
遺族が目指すのは労災認定で終わりではない。訴訟と、業界全体の改善だ。この動きが地方競馬の働き方を変えられるか。筆者は注視していきたい。そして読者のみなさん自身の職場も、「常態」に潜むものから一度見直してみてほしい。記録を残すこと、それが最初の一歩になる。
参考・出典
- 弁護士ドットコムニュース「川崎競馬の『厩務員』が43歳で自死、パワハラと過重労働で労災認定…遺族『息子の死を無駄にしたくない』」(2026年10月22日)
- 時事通信「厩務員自殺を労災認定 川崎競馬場でパワハラ―労基署」(2026年10月22日)
- 朝日新聞「調教師から『死ね』『ゴミ以下』 自殺した厩務員にパワハラ労災認定」(2026年10月22日)
- 共同通信「川崎競馬厩務員自殺で労災認定 調教師パワハラ、6月に労基署」(2026年10月22日)
- 日テレNEWS「競走馬育てるきゅう務員自殺で労災認定…パワハラと過重労働」(2026年10月22日)
本記事は2026年10月22日時点で公表された報道内容に基づき作成しています。労災認定の詳細な経緯や事実関係は、今後の調査・訴訟で変更される可能性があります。関係各所の主張には対立があり、最終的な法的判断は裁判所が下すものであることをご理解ください。記事中のアフィリエイトリンクにはPRが含まれます。

